逢魔時堂

逢魔時(おうまがとき)は昼と夜が移り変わる時刻。人の目が宵闇の暗さに順応する前の状態にある時間帯のことを言うのだそうだ。闇に慣れると人の目は宵闇の暗さに慣れ、暗闇の中でも物の形が区別できるようになる。それは、人の心の闇もまた。

8.おおつごもりの客.1

 その客は暮れも押し迫った夕方に現れた。
 
 師走中旬に改装オープンした逢摩堂の初日はド派手だった。
「表初恋さくら通り商栄会一同」の皆々様がシャッター通りの入り口からどん詰まりの逢摩堂までずらりとクラシカルな花輪を飾り立ており、
朝になって通りの入口で度肝を抜かれてしまい、しばし唖然と声も出なかった。
 
 本人たちは店から出てこないと決めたらしく、
姿は見せなかったがシャッターの隙間からはひらひらといくつもの手が私たちに向けて振られていた。
 
 また厨房から外に出るドアの前にはこれまた商栄会及び近隣の猫さん一同によるものか、
いくつもの贈り物と思しき小動物の亡骸が綺麗に並べられており、
私たちは派手な悲鳴で返礼をした。
 
 しかしその後は文字通り静かすぎる明け暮れで、ひなことふたばは美術書を読みふけりながら第一倉庫内の商品を整理するのに余念がなかったし、
私は店内を正月向けにレイアウトすることに夢中になっていた。
 
 最所と京念はここを第二事務所に決めたらしく、一日一回は顔を出してコーヒーやら紅茶やらを飲み、お喋りを楽しんでいくのを日課としていたし、
逢摩堂の主人も厨房を使って昼食を自炊しだした私たちの手料理がすっかり気に入ったとみえて、
なんだかんだと手土産を持参しつつお昼時にはほとんど現れる。
 
 一方店内は、というと平蔵やハセガワ、あるいは他の猫たちがかわるがわる自主的に店番をしていて、時折現れる宗教や新聞の勧誘や集金人が来ると鳴いて教えてくれ、
静かではあるが賑やか、賑やかであるが静か、という状態だった。
 
 
 塀のむこうへ行き、あの話の続きを聞きたいという思いもあったが、クリスマス前後にはこの地方では珍しく大雪となったせいでレンガ塀のあたりはまるで吹き溜まりのようになってしまい、なかなかままならなかった。
 
 しかし庭越しに、あるいは塀の彼方に時折姿を認め合うと手を振ったり大声で挨拶しあうという状態であったし、
夕方から活動し始めるらしい商栄会の面々とも顔を合わせるとにっこりと会釈しあうという日々は、
まるでずっと前からこの地でこうしていたのではないかと錯覚してしまいそうだった。
 
 また逢摩堂の主人から入店祝いとして贈られた品々は、美術書を首っ引きで調べていたひなことふたばによると「異国伝来美術館収蔵クラス」の「値段のつけようのない」「とんでもない貴重な逸品」という実に恐ろしいもので、
私たちは全員一致で「お気持ちだけ頂戴いたします」の言葉と共にお返しさせてもらうことにした。
 
 一旦あげたものを……と渋い顔をした主人だったが
 
「こんなの自宅に置いてたら心配でこっち来れませんよ!」
 
 のふたばの一言で
 
「そうか、全く欲のない。では一応はこっちへ置いておこうかの」
 
 ということになり、相変わらず三つの箱はあの棚に鎮座している。
 
つづく
 
 

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