逢魔時堂

逢魔時(おうまがとき)は昼と夜が移り変わる時刻。人の目が宵闇の暗さに順応する前の状態にある時間帯のことを言うのだそうだ。闇に慣れると人の目は宵闇の暗さに慣れ、暗闇の中でも物の形が区別できるようになる。それは、人の心の闇もまた。

語り継ぐもの6

 

 折しも咲良さんの部屋も夕焼けに染まり、それが段々と群青に変化しだしたころ、庭の木戸口を開けて誰かが厨房の方へ小走りに急いでくるのが見えた。


「あ、麦ちゃんだ!」


 それは忙しくなった「塀のむこう」が新しく雇い入れた娘さんで、コロコロとよく太り、働き者で力持ちで頬が赤く、およそ現代の美人という評価からは外れているのだが、なんとも言えない愛嬌があり、皆からは「麦ちゃん」あるいは「大麦」とからかわれている娘さんだった。


 麦ちゃんは片手に大きなバスケットを持っており、急いで厨房のドアを開いた。

 

「マスターと奥さんからです」


 はにかみながらバスケットを差し出す。


「新作のお料理、味見してみてくださいって言われました」


 薄っすらと汗を浮かべた鼻から、よほど急いできたのだと窺うことができる。


 ほかほかと湯気があがり、見るからに美味しそうなバスケットのそれは、女三人気楽に済ませたいと思っていた夕食にぴったりで、マスターたちの気遣いに大いに感謝し、お返しに、と今日届いたばかりの果物をバスケットに詰めた。


「あ、それと……」


 私は急に思い出し、机の上においていた紙の包みを麦ちゃんに手渡す。


「この前見つけたの。麦ちゃんに似合いそうだなぁって買っちゃった。押し付けプレゼントだけど持っていこうと思いながらなかなか行けなくて」


 包みの中はタータンチェックの暖かそうなジャンパースカートで、商店街の若者専門の店に飾られていたものだ。


 それを見た麦ちゃんは目を丸くした。


「これ、私にですか?」


「うん、おばさんのセンスだから気に入らなかったらごめんね」


「そんな――そんなぁ! 本当にいただいてもいいんですか?」


 オズオズと、でも紙袋をしっかりと抱き締めて麦ちゃんは涙声だ。


「やだ、そんなお高いものじゃないのよ。いつもありがとうって、ほんの気持ち!」


 その言葉に何度も何度も頭を下げて帰っていく麦ちゃんを笑いながら見送り、私たちはマスターたちの新作だというパスタグラタンに舌鼓を打った。

 

 

「さっきのみいこ姉さんの話だけど」


 最近お気に入りだというフレーバーコーヒーを一口すすり、ひなこが考え深そうに話し出した。


「愛の反対語って知ってますか?」


「――ん? 憎しみ?」


 咄嗟にありがちな言葉が出てくる。


「新婚ふたちゃんはどう?」


 ひなこが笑いながら聞く。


「え? うーん……怒り、かなぁ」


 ふたばも同様に自信なげに答えた。


「あのね、それは『無関心』なんだって。憎しみや怒りはその対象にまだ関心を持ってるってこと。でも、意識すらしない、っていうのが反対語」


 ひなこの正解発表に私たちはなるほどねぇ、としみじみ納得した。


「一番哀れなのは――忘れられた女です。マリー・ローランサンの詩の一節にもあるんです。私もね、みいこ姉さんの考えに賛成。そんな気がする。誰かが――忘れ去られた誰かが泣いているような気がしてならない」


 ひなこのその言葉に、ふたばも同感だと頷く。


「泣いているんなら――一人ぽっちで泣いているんなら、なんとかしてあげられないかな」


 呟くふたばに、私たちは再び大きく頷いた。

 

 

 

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