四月馬鹿.11
「やだぁ、会長ったらかっこいい!」
「すてき! 惚れ惚れしちゃう!」
その場の空気にはいささか場違いな嬌声が上がった。
「さあさあ、こんな場所で野暮は禁物。お入りになって。もっとずずいと」
「こちら、どこの国のお方?」
「はじめましてぇ、渋くてもう、男前ねぇ」
「まあまあ、とりあえず一献一献。仲直り。ねえ、この場は私たちに免じて日本のおもてなしを楽しんでくださいましな」
ベテランのお姐さんにかかればかくも他愛なくなるものか。その場の空気は一変していた。
「あ、お酒もっと追加――ねえ、新しくいらしたお兄さんたちも足崩して、さあさあ」
そのまま廊下に向かって「こちらお料理追加でお願いしまぁす」と声を上げる。
「こらこらるり奴、まち奴。こちら大切な用事でお越しになったに違いないぞ」
柊氏が笑う。
「あらぁ。男の仕事場は別の場所になさってぇ。ここはあたしたちの仕事場。あたしたちが仕切る場所!」
「こらこら」
二人のお姐さん方はある意味乱入してきたも等しい三人の新客に興味津々らしく、つきっきりのご接待を繰り広げている。
二人の用心棒らしき男たちはいかにもなサングラス姿だったが、もうとっくに二人の手にかかってそのサングラスは外されている。御大尽も渋い顔だったのだが、徐々に懐柔されつつあり、また、最所と京念が男芸者、太鼓持ちよろしく上手に場を盛り上げている。
ボスも威厳を保ちつつも初対面の御大尽と骨董の話だのお座敷の遊びなど展開がかなり和やかになってきてしまった。
そんな頃合いに、ボスがさり気なく
「あの茶碗、お気に召されたようですな」
とまるで他人事のように話し始めた。
「なんでもお国の宝物であったとか」
柊氏が目を細めた。この場はボスに任せようという阿吽の呼吸だ。
「そうです。ずっと探しておりました。今日ようやく見つけました」
「うむ。しかしあれは私が長く秘蔵しておったのですが、元々はある女性が所持しておったものなのです。そのこともご存知か?」
「もちろんです。私はその女性の正統な子孫ですから」
「――ほう、そうでしたか。それはそれは……」
ボスの語り口はあくまでも穏やかである。
「良い方でした。気高く、優しく、強い方でしたわい」
「元気でおります。いつも言っています。一刻も早く返してもらいたいと」
しばらくボスは効果的に沈黙した。
「あの茶碗は私がこちらにおられる柊さんに合法的に譲り渡したものです」
ボスがそう言うと隣で柊が大きく頷いた。
「私どもの常識ですと、そうなると持ち主はこちらにおられる柊さんの物となるのですがな」
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四月馬鹿.10
「うーん、この屁理屈は理解不能だ」
飛び上がった猫と茶碗がそれぞれ大人しくなったころ、私とひなこは溜息をついた。気になるのは「経緯はどうでもいい。我が国で作ったものは我が国のものだ」というその不可思議な価値観だ。
それが正しいのであれば件の茶碗は正当な返還理由があることになる。私たちの信念である「私たち以上にふさわしい持ち主が現れるのなら……」という項目にレ点がつくことになる。
そんなことに頭を悩ませていた頃、上京組の方もいよいよ第三ラウンドのゴングが鳴ろうとしていた。
***
廊下が慌ただしい。遠くから女将のものらしい声で「もし、お客様、困ります」という必死の声が聞こえる。それと同時に聞こえてくる足音は複数ある。
「おいでなすったね」
柊氏とボスはそれぞれ片手に持った盃を空けるとにやりと笑い、最所と京念はごくりと唾を飲んだ。
柊氏とボスの間にはやや上背があるが、美しいお姐さんが座っている。お姐さんのおつきなのだろうか、こちらは芸と愛嬌で売っているのだろう肥りじしの年増の方は三味線を持っている。こちらの二人は落ち着き払ったもので、このようなシーンにも慣れているのだろう。
ばたばたと響く足音は部屋の前で止まり、入らせてもらいますよ――とドスの利いた声と共に襖が開いた。
「申し訳ございません、お止めしたのですが」
女将がオロオロと声を震わせた。
「いや、なに。知り合いですよ。大丈夫です、お気になさらず」
柊氏がゆったりと声を掛け、荒々しく現れた面々に
「これはこれは――いささか無粋なご登場ですな。まあ、とりあえずお入りになられたら」
さすが海千山千の修羅場を潜ってきただけのことはある。その様子はまったく悠然としたものだった。
「――この連中は?」
御大尽が立ったまま問いかける。
柊氏はさっと顔色を改めた。
「だまらっしゃい!」
この細身のじいさんから、この大音声がよく出るものだという迫力と凄みで
「まずは座るがよろしかろう」
有無を言わさぬ物言いである。その圧倒的な態度に、かの人々は下座にとりあえず座った。
「名乗るはそちらが先であろう」
その眼光の鋭さに、御大尽の用心棒と思しき二人連れは思わず土下座の態勢になる。緊迫した空気がその間には流れた。
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四月馬鹿.9
その空気に水を差すかのように御大尽が一言、
「この茶碗は本来私たちの祖国のもの。返していただきたい」
と言い放ったそうだ。はじめこそ冗談だと皆笑っていたらしい。しかし目が真剣である。
「どういうことですかな? 私はその持ち主から買い取ったのですよ。まあ、ほんの少し安くはしていただきましたがね。今の言葉、まったく解せませんな」
柊氏も軽く受け流したらしい。しかし御大尽は尚も言ったのだという。
「あんたに渡った経緯など私の知ったことではない。その茶碗は我が国の宝となるべきものなのだから返していただきたい」
元々はひなこが作った偽茶碗であることもすっかり忘れ、私たちは「どういうこと? どういう理屈?」と憤慨していた。
返せとはなんだ、失礼ではないか――と当然現場でもその声はあがり、全員が柊氏を支持したのは当然の流れであろう。すると御大尽は
「よかろう。でも私は必ず、必ず取り返す。なんとしても取り返す。首を洗って待っとらっしゃい」
と一言残し、その場を去ったということだった。
「と、ここまでが第一、第二ラウンドらしいです」
「で、父さんたちは? 父さんたちは無事なんだよね?」
その問いにふたばが苦虫を噛み潰した表情になった。
「はい、無事も無事。これから柊さんの慰労会で綺麗どころと二次会だそうです」
「……ええ? それって必要?」
思わず声が出る私とひなこに「同じこと言いました!」とふたばは奮然と叫び、母さーん! と再び咲良さんの部屋へと足音荒く飛んでいった。
その震動にまたカタカタと鳴りだした茶碗に、残された私たちは「おだまり!」と怒鳴りつけると、猫も茶碗も飛び上がった。
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四月馬鹿.8
十分後にはすっかり元気になったのだが、それでも足音を忍ばせて恐る恐る事務所の戸口に戻った。三人でそっと耳を澄ますとカタカタの音は止んでいるようだ。
しかしその代わりにカリカリ、ポリポリという聞き慣れた音が聴こえてきた。そっと覗き込んだ私たちの目に映ったものは、三つの茶碗を器用に押さえながら楽しげに、嬉しげに食事をしている猫たちの姿だった。
『――見てごらん、何かあったらこんなにやんちゃしとらんじゃろ。大丈夫じゃ』
不意に以前ハセガワが行方不明になったとき、ボスが言った言葉が蘇った。
怖がることはない。この茶碗に恐怖を感じることはないのだ。
私たちはしゃがみ込み、艶やかな猫たちの背中を撫でながら、母の形見とも言える茶碗を見つめた。音か振動か――そのどちらかに反応するに違いない。その仕組みはわからないが。
しかし、猫たちをどかしてまで「今」それを究明する気にはなれない。とりあえず「今」は茶碗は道具としての役割に満足しているかのように動かず、じっとしている。
しばらく茶碗と猫たちを見つめていたのだが、ふたばの携帯が鳴った。最所からだ。
「うん、うん――え? なにそれ?――うん、うん」
と応えているふたばに、不躾ではあるのだが私たちもぴったり張り付くものの早口の言葉になかなかついていけない。
「――こっち? うん、大丈夫。え? えー? それ、必要? わかった。勝負は今夜? 真夜中くらいなのね? わかった、とにかく無茶しないでね。また連絡して」
そう言って電話を切ったふたばに、どうなった?! と勢い良く聞く私たちにふたばが説明したのは大体このような内容である。
件の茶碗を見せられた御大尽はみるみる顔が紅潮し、どこで手に入れたのか、と聞いたらしい。
「出処はちょっと――ただ、ある方から内々に譲りたいと打診がありましてね。なんでも引き取り手がいないとか。まあご覧のように相当の価値がある――これは皆さんもすぐおわかりでしょう。天涯孤独であったその方は自分亡き後は野に埋もれてもいいと思っていたらしいのですがね。でも縁あってこの度養子縁組をしたその子達にお金という形で残したいと思ったということで――それで私に、と。いやあ、老後の資金、すべて注ぎ込みましたわい。一世一代の買い物ですな」
柊氏が御大尽の問いに答えたあと、満場一致で本日の最高賞を獲得したのは言うまでもない。
その後続いた会食でも話題はその茶碗のことで持ちきりで、やれオークションで高額出品すればいいとか、いやいや人類にとって後世に遺すべき宝物だから美術館に寄贈してあなたの名前を歴史に刻むべきだとか様々な意見でかしましかったという。
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四月馬鹿.7
夕方、ささやかなリフレッシュタイムだったがすっかり元気になった私たちは逢摩堂へ戻り、しばらくすると上京組から第一報が入った。
「首尾は上々。追って詳細」
とある。まるで電報のようなメールである。
こう、なんていうか――もうちょっと具体的に書けないものか、とイライラするのだが、首尾は上々という文言にとりあえずは胸を撫で下ろした。
その五分後には「稀代の詐欺師。惚れ惚れする口上」と第二報が入った。
計画によると例の会が開かれている会場の隣の部屋に、ボス、最所、京念が詰めることになっており、襖越しに聞こえる会話に耳をそばだてているらしい。
それから小一時間ほど経った頃、ハラハラしながら待っている私たちに届いたのは「第一ラウンド圧勝! しかし勝負はここから!」という文言である。
このあたりになるとふつふつと怒りがこみ上げてくる。なんのつもりだろうか。スポーツ紙の見出しでもあるまいし。状況がまるでわからない私たちにとって、この途切れ途切れの情報はまったくもって神経を逆撫でる。
「揃いも揃って! だいたい何のためにみきくんまで送り込んだと思ってる! もっと丁寧に現場レポしろって! 帰ってきたら一週間弁当抜きにしてやる!」
新婚ふたばの言葉に「まあまあ」となだめながらも、私とひなこは組んだ足をカタカタと動かしている。これは私たちの共通の悪癖で、気付いたときにはなるべく直そうとお互いに注意しあっているのだが、イライラが募るとどうも出てしまう。今日はお互い注意し合うこともなく普段であればカタカタで済むのだがガタガタとかなり強めに出ている。
お互いに目が合い、思わず舌を出して足を組み直したとき、床にトレイを置き、そこに収めていた件の茶碗がカタカタと動き出した。まるで命が宿ったかのようにカタカタと揺れている。ついさっき、盛り付けてやったドライフードが跳ねて溢れるほどの揺れである。
逢摩堂に来てから随分と不思議な事も経験してきたが、不気味だと感じたのはこれが初めてだった。
ひなことふたばがカニ歩きで私のもとにやってくる。三人で顔を見合わせ、次に私たちは悲鳴を上げて咲良さんのもとへ飛んでいった。なぜか「お母さーん!」と叫びながら。そして咲良さんの絵にしがみつき、母さん、怖いよぉ、と叫んだのだった。
「母さん怖いよ」
「母さんどうしよう」
「母さん教えて」
「母さん助けて」
「母さん!」
私たちはおよそ思いつく限りの母に甘える言葉を並び立てた。それは幼い頃からずっと封印してきた言葉だったかもしれない。
その言葉を出すたびに心の中の不安が一つずつ溶けていくような気がする。
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四月馬鹿.6
さて、いよいよの四月一日。
ここまで来たらあとは氏にお任せするしかないのは重々承知しているが、留守を守っている私たちは早朝から落ち着かないことおびただしい。
慎重なひなこがガラスの置物に躓いて割ったり、いつもにも増して丁寧に煮物の下準備をしていたふたばが鍋を焦げ付かせたりしているし、私は私で動物園の熊のように訳もなく店内を歩き回っていた。
もうなにも手に付かない状況に、思い切って店を臨時休業することに決め、この日は出かけることにした。
考えてみれば三人揃って出かけるというのは久し振りだ。それも遊びが目的で、ということになると初めてと言ってもいいくらいかもしれない。
そう考えると妙に心が浮き立ち、ちょっと遠出をしようということになった。昨日のローカルニュースで、隣市の天然記念物になっている老桜木が見頃だと言っていたのを思い出し、その近くに温泉もあるしで日帰りの小旅行と洒落込むことにする。
例の会が始まる夕方までには帰れるだろう。だとしたら佐月さんと麦ちゃんも誘ってみようかということになった。これも一つの女子会の形なのだろう。
声を掛けると佐月さんはあいにくマスターと所用があるということで、お店も今日は臨時休業になっており、住み込みで働いている麦ちゃんも昨夜から実家へ帰っているという。残念だが仕方がない。
「また誘ってね!」の声に見送られ、いざ車に――と思ったのだが、急に電車に乗りたくなってしまい、急遽三人で駅へ向かった。
「なんだかワクワク度が増しますよねぇ」
乗車時間はわずか小一時間なのに車内で食べる駅弁やらおやつやらをしこたま買い込む。
おせんべい、キャラメル、チョコレート。昔の唱歌そのものだ。
そういえば仕事以外で電車に乗るのは本当に久し振りだ。しかも各駅停車なんてほとんど記憶がないくらいだ。
私たちは車窓に流れる景色に見惚れ、お弁当を食べるのにも忙しく、遠足の小学生よりもっとはしゃいでこの時間を楽しんだ。
電車に乗って二十分も過ぎれば、とっくに人家のある街並みの景色は消え、田畑やら山林やらが続き、やがて段々畑が見えてきた。
この畑一つを作るのに昔の人はどれだけの苦労を重ねたことだろう。しかしその畑も後継者がいないのだろうか、所々石の段だけがわずかに認められるものの雑草が生い茂っているものも多い。
元の状態に戻すためにはまた大変な苦労を要するだろう。そんな思いで景色を眺めていると、ふと目に留まるものがあった。
そこはやや大きめの田になっており、その側には開墾した人々の墓石らしきものがいくつか並んでいるのだが、その一つに誰かがしゃがみ込んでいてお参りしているらしい。そしてその人が着ている服に見覚えがあったのだ。
もちろん顔は見えないのだが、この前私が麦ちゃんにプレゼントしたジャンパースカートのタータンチェックの色合いだった。
以前、麦ちゃんは海辺の町に生まれたのだと話していた記憶がある。
――だとしたら別人か。ああいうのはきっと大量に出回ってるし――と納得しようとしたのだがやはり気になり、その景色が見えなくなるまでずっと見届けている私に、
「みいこ姉さん、もうすぐ着きますよぉ。早くお弁当食べきって!」
と二人が急かした。
「わ、大変」
大急ぎで弁当の残りを詰め込むのだが、山間の、ほとんどもう無縁墓のようになっている寂しげな墓前に長く額づいていたその姿がいつまでも残像として記憶に残ったのだった。
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四月馬鹿.5
明くる日、再訪した柊氏に私たちはすべてを白状した。
しばらく呆然と偽茶碗を見つめていた柊氏だったが、本物の在り処を尚も打ち明けられたあと爆笑していた。
「ああ、こんなに笑ったのは生まれて初めてです」
氏は眼鏡を外し、目尻を拭いながらまだ笑いが収まらない様子だ。
「本当に申し訳ありません」
平身低頭の私たちに
「いやいや、まったく騙されました。ああおかしい。しかも猫のご飯茶碗になっているとは。本当にあなた方は面白すぎる」
「取り替えていたこともすっかり忘れていて――気付いたときにはあんな状態で。騙すつもりは全く無かったんです。本当に申し訳ないことをしました」
眼鏡を掛け直した柊氏は咳払いをひとつして口を開く。
「そうですな。確かに無礼な話ですな。うーん、これは――私も皆さんのお仲間にどっぷりと入れていただくしかこの笑いは――いえ、怒りは収まりませんな。いかがでしょう、次の会で私がこの茶碗を出品して奴の反応を見るというのは」
実はその展開になるのが一番望ましいというのは私たちの中の話の中で何度も出たのである。
しかしそこまで迷惑をかけるわけにはいかず、下手をすれば柊氏に危害が及ぶことになりかねない。そんなことは絶対に避けねばならない。
まして偽物とわかっている今の状態で、どこまでしらを切ることができるのか、この謹厳実直を絵に描いたような人物にそこまでの演技力を求めるのはいかがなものなのか。
私たちの一瞬の沈黙を見透かすように柊氏はにやりと笑った。
「ご心配には及びませんよ。実は私、若い頃は役者を志して家出した過去があります。残念ながら親父が病気になって泣く泣く家に戻りましたがね。でもその過去があるから堅物と呼ばれる人物を演じ続けてこられたというわけです。ようやくその役目も終わりました。そろそろ昔の夢を実現してもいいでしょう。どうでしょう――稀代の詐欺師の役、私にやらせてもらえませんかな」
そう言い切った柊氏の瞳はまるで少年のようにいたずらっぽい。
運命の日まであと一週間、ランチを兼ねた会議のメニューは大皿に盛り付けたおむすび、お新香、そして豚汁だ。
「これこれ! こういう食事がしたかった! 気取った会食もいいけどね。毎日だと飽き飽きする。ああ、体が喜んどります」
柊氏はそう話しながらおむすびを六つ平らげ、その食欲に私たちは唖然とし、それと同時に逢魔時堂ファミリーに新たなメンバーが加わったことを実感した。
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