逢魔時堂

逢魔時(おうまがとき)は昼と夜が移り変わる時刻。人の目が宵闇の暗さに順応する前の状態にある時間帯のことを言うのだそうだ。闇に慣れると人の目は宵闇の暗さに慣れ、暗闇の中でも物の形が区別できるようになる。それは、人の心の闇もまた。

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

3.とりあえず.4

落ち着いて周りを見渡してみると、事務所内はやはり、かなり良い家具が配置されているようだ。 現に私たちが今座っているこの長椅子にしても総革張りの上質なものである。 食事を終えたらまずは倉庫の探索から始めようと意見がまとまった。 「えっと、倉庫は…

3.とりあえず.3

なんという手回しの良さなのだ。 確かに必要ではあろうがもう少し今の状況に慣れさせてもらえないものだろうか。 頭がもう一つ、いやもう二つ三つ従いていけない。 しかも彼はなんと言っていた。 リニューアルオープンは二週間後だと言っていた気がするが…… …

3.とりあえず.2

とりあえず私たちは事務所に残っていた長椅子に腰を下ろした。 今気がついたのだが、驚いたことに事務所内もきちんと掃除がなされており、 昨日までの埃っぽさがさほど感じられない。 「ふーん、立つ鳥あとを濁さず……ってやつですか……」 ふたばが感心したよ…

3.とりあえず.1

さて話が長くなったが、とにかく店内はからっぽ。 ものの見事に何も残っていない。 顔を見合わせた私たちは次の瞬間には同時にすでに暖簾も取り外されているバックルームへの通路を走った。 「ひなちゃん事務所! 事務所開けて!」 「ふうちゃん倉庫の方見て…

2.お好きなように.8

「やります!」 真っ先に声をあげたのは意外にもひなこだった。 「やってみます! なんか面白そう!」 と、続いてふたば。 「あ、私も及ばずながら……お世話になります」 私もつい口走った。 この空気で「ノー」と言えなければ、言う根拠も今のところ見つから…

2.お好きなように.7

「で……つまり私どもに何をしろと?」 私はにっこり笑った。 「そうそう、ですからね。何度も注意してもお聞きになられない。 ガラクタだと言ってもそれは各々思い出が詰まっている品なのだ、と。 まあそうおっしゃるわけです」 というわけで、逢摩氏はその品…

2.お好きなように.6

「ええ……それはご心配なく、じゃないと思いますよ!」 ふたばが素っ頓狂な声を上げた。 「売上げもないのになぜ人がいるんですかぁ!?」 「それと……」 とひなこもそれに続いた。 「先程、業務内容の説明で仕入れ、とおっしゃいましたよね? こちらも担当す…

2.お好きなように.5

話の後を継いだのは税理士だった。 「さて、次は給与についてご説明します。 やや変則的といえばそうなのですが、 そうですね……契約制と考えていただければわかりやすいでしょうか。 毎月一日に前払いという形になります」 すなわち税理士の京念の話はこうだ…

2.お好きなように.4

こほん、と咳払いをしたのはひなこだった。笑顔を保ちながらも 「申し訳ありませんが、お話を進めていただけませんか。 私たち……こほん、私そんなに時間の余裕があるわけでもございませんので」 と鋭く話を軌道修正した。 「で、私たち……えっと、私は結局ど…

2.お好きなように.3

「さて……」 口火を切ったのは語尾上げ男のほうで、 「私、こういう者です」 と私たち各々に名刺を差し出した。 名刺には『最所法律事務所 代表 最所見喜雄』とある。 では私も――、と銀縁メガネが配った名刺には『京念税理会計事務所 代表 京念忠一』とあった…

2.お好きなように.2

ひなこは場持ちの良いタイプと見えて、 語尾の上がる癖のある若い方の男としばしコーヒー談義を繰り広げていた。 私より一回りぐらい年下なのだろうか。 歯切れのよい話し方は言葉を使う仕事を経験してきたのだろうか。 私はそんな二人に曖昧に微笑んだり相…

2.お好きなように.1

私たちは思わず顔を見合わせた。 少なくともこの場合、私たちは共通の戸惑いを感じているわけで、 とりあえずはこの戸惑いはどこにぶつけたらよいのか、 という思いも共有しているわけで。 「えっと」 「あの」 「私」 と三人同時に声が出た。それが合図のよ…

1.逢摩堂.5

薄暗い廊下を少し歩き、どうも突き当りの部屋に案内されるらしいのだが、 その間私は興味深くあたりを観察した。 廊下の左右は倉庫と思しき部屋が一つずつあり、壁には棚がずっと続いている。 そして所狭しと色々な木箱やらダンボール箱やらが積み上げられて…

1.逢摩堂.4

かつては屋根もあったかに見えるその通りは今は青天井となっていて、 ただアーケードの残骸らしきものに通りの名前が所々に、 電球の切れたイルミネーションで記されていた。 冬至にはまだ間があるとはいえ急に日が暮れるのも早くなる季節で、 その侘びし気…

1.逢摩堂.3

電話のベルは五回と決めた。それ以上のコールはすまい。 五回以内だと私の中ではまあまあ合格。 三回以内だとベリーグッドである。 四回目のコールと同時に聞こえて来たのは、 しゃがれた男の声で無愛想に 「ほい、おうま……ゴホンゴホンときゴホンどう」 と…

1.逢摩堂.2

そもそも私たち三人は面識がなかった。昨日初めて会ったのだ。 二日前、私は街頭で配られている求人募集のフリーペーパーを、バスの時間待ちで立ち寄ったバーガーショップでコーヒーを飲みながらなんとはなしに、そして時間潰しに見ていた。 その一項に「急…

1.逢摩堂.1

私がこの店を任されたのは、まことに奇っ怪な経緯からだった。 これを手短に話すならば「まあご縁です」ということになるのだけど。 時折、その一言では済まさせないぞ、という御仁が現れることもある。 そうなるとその人は、丸々二時間余りこのうんざりする…