夜咄3
逢摩堂は今や知る人ぞ知る有名店である。もちろん『逢魔時堂』としての都市伝説も大いにそのきっかけとなったのだが。確かな品揃え、丁寧な接客、そして自然に店内に溶け込んでいる愛くるしい猫たちと、これだけ材料が揃えば誰もが一度は覗いてみたいと考えても不思議ではないだろう。
人は夢を見られる、噂になっている、活気がある場所に惹かれ、またそこにいる人に惹かれるものだ。
シャッター通りも今はみんなシャッターを開いて営業している。レトロな雰囲気をそのまま活かし、却ってまるで昭和の商店街のロケ地のように。
そして奇妙なコスプレ族も闊歩しているこの通りはすっかり県を代表する観光地になっていて、団体ツアー客も訪れている。レトロなネオンはそのままで、その侘しさがまた新しいのだとか。
『塀のむこう』も忙しくなり、マスターと佐月さんは新しく若い娘さんを雇い入れたらしい。甘酒名人の雪女おばさんは店頭をお休み処に改装したし、やまんばばあさまも得意な田舎料理を活かした食事処を作ったしで、通り全体みんな老いて益々盛んな化け物集団になっている。
「これもそれもみんな、あんたらのおかげさんじゃ」
鬼太郎会長、目玉おやじ副会長はことあるごとに有難がってくれるのだが、私たち自身はこの通りとの不思議な縁に感謝の気持ちでいっぱいだった。
そしてボスの病をきっかけに、私たちは逢摩堂に居住を移すことにした。バリアフリーの工事に伴い、第一倉庫を改装してリビングルームに。
二階の屋根裏部屋(まだあったのだ)には、簡単に薄い壁を作ってもらっただけだが小さな個室が三つできあがった。プライバシーは十分守られるし、一日のほとんどを一階で過ごす私たちにとっては寝室であったのでなんら不自由のない空間であった。
ボスはすまながって例の都市型マンションへの居住を勧めてくれたのだが、もとよりそんな想いは爪の先ほどもない私たちなのである。
幸いなことに浴室まである逢摩堂は各々ワンルームマンションに住んでいたひなこやふたば、あるいはだだっ広いだけでほとんど使用していない部屋ばかりの古い家に住んでいた私にとっては十分暖かなねぐらだった。
ボス自身も今や咲良さんの部屋に居住しており、文字通りひとつ屋根の下、奇妙であるが自然な一家族が作られている。
そして二年という月日は、ひなこやふたばの生い立ちもおのずとわかり、これも不思議な一致なのだが、私を含め三人共早くして天涯孤独の身になっている。ひなこは「おばあちゃん」という人に育てられ、ふたばは親の存在すら知らなかった。物心ついたときには孤児院にいたのだという。
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夜咄2
「ほい、狐に化かされたかの?」
「ここはどこじゃ?」
こんこんと眠り続けること二昼夜。ぽかんの目を開けたボスに、私もひなこもふたばもどんなに安心したことだったろうか。
寝不足の、そしてすっぴんの三人を見て
「心配をかけたみたいじゃの。すまんすまん」
とボスは笑いかけ、うーん、なかなか死なんもんじゃの――と呟き、
「引っ掻きますよ!」
とひなことふたばから叱られ、私はただただ涙を流していた。
中度の脳卒中と診断を受け、一ヶ月の入院を経て車椅子で退院したボスのために、急ピッチで逢摩堂のバックルームはバリアフリー化したのだけれど、時々こんな形でお呼びがかかる。
「早く歩きたいのう」
「さっささっさと散歩したいのう」
ボスは歯がゆいらしく、時々溜息をつくのだが、私たちは
「ゆっくりゆっくり、ゆっくーりですよ」
そう釘を差し、小雪にも黙って出かけそうになったらすぐ知らせてね、と頼んである。
さてさて、ボスの用事といえば今度黒猫家で行われるボスの快気祝いを兼ねた茶会の室礼についての相談だった。
「年の瀬、忙しいときにすまんこっちゃだが、今年の内に厄払いもしとこか、と思うし、黒猫家の茶室の披露も兼ねておるし、まあ、身内だけでゆっくりやろかの」
ボスは楽しげに道具を選んでいる。私はこの時間が大好きだった。長い間培われたボスの目利き。物の価値を見る力。そしてその道具にまつわる逸話などを聞いていて本当に飽きることがない。
「みいこさんにはわしの知っとること、全部話しとかんとな。どんどん忘れてしまうしな」
その他に、ひなこには彫金を、そしてふたばにはデッサンを――各々ボスから手ほどきを受けてどんどん上達しているのだ。厳しくもボスの教えはわかりやすく、時間はごく限られていたが、この時間は私たちの最高の楽しみになっている。暗黙の了解で、この時間は極力邪魔しない、がルールになっており、私は心ゆくまで道具選びを楽しんだ。
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夜咄
気が付けばもうすぐ師走だ。
年齢とともに時の流れは早くなる。子供の頃は夏休みが終わると、冬休みなんて永遠に来ないんじゃないかと思われるくらいゆっくりしていたというのに。
ここに来てからは何だかとくに早いような気がするなぁ、と思わず独り言をこぼすと先ほどから私の様子を窺っていた白猫の小雪が「なあん」と応えた。
「小雪もそう思う? あんたがここに来てから一年、私が来てからほぼ二年だよ」
そう話しかけながら柔らかな胸毛を撫でてやる。猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
この子は後ろ足が少し不自由だ。軽く体を傾げて歩く。それ以外は通り猫一番の美猫だ。真っ白な体毛とエメラルド色の大きな目。そして真っ直ぐな長い尻尾に優しい声とピンクの肉球。
ここに出入りする、通称『薔薇の紳士』こと最所と京念はこの子にメロメロで、『塀のむこう』の平蔵や『黒猫家』のハセガワが、小雪と猫語でおしゃべりしている様子に内心激しく嫉妬しているらしいのを、私たちはほとんど呆れて見ている。確かこの二人は猫が大の苦手であったはずなのだが。
今や彼らの膝、足元には必ず猫たちが側にいる。彼らのデスクやポケットには猫たちの為におやつが常に用意されており、メタボ気味になりつつあるレギュラー店番猫たちのダイエットメニューに頭を悩ませているふたばやひなこの目を盗んではこっそり与えているのを私は知っている。
そうだ、あれからの日々を少し話さなくてはならない。
神かくしにあったように突然消え、そしてその後無事に私たちのもとに戻ってきたハセガワのこと。そして小雪の足を不自由にした吹き矢の犯人のこと。その犯人をまんまとおびき寄せ、
「まったく、とことん痛快だけどお話にもならないくらいヤンチャで無鉄砲。子供じみた方法よ!」
と、るり子姉さんが笑いを噛み殺した渋面で「厳重注意!」と厳かに言い渡した方法で成敗した、分別ざかりの大人たちの集団。
しかし作戦が終了した夜の宴会で、小気味よく盃を重ねていたのは赤毛、つけまつ毛、ヒョウ柄コートの長身の女性だったと記憶している。
ここまで書き進めていると、隣の部屋から
「みいこさーん、いるかい?」
とのんびりしたボスの声が聞こえてきた。はぁーい、今行きますよ、と答える私より先に小雪が飛んで行く。小雪が一番好きなのは回復時ずっと懐に入れて温めてくれたボスなのも私は知っている。
「ちょっと足のギアが入らなくてな」
「あらら、どうしました? そっと立ち上がってみましょうか。肩に掴まってくださいな」
「すまんね」
ボスはそう言って恐る恐る立ち上がり、うんうん、大丈夫だ、と笑った。
「年をとるとなかなか治りも遅いわい。すまんこっちゃった」
一年があっという間だった原因の一つは、ボスが倒れたこともあるのだ。元来、丈夫な体質で、スポーツも得意、体調も常々ドクターチェックを怠らなかったはずなのに、ふいに倒れた。
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