逢魔時堂

逢魔時(おうまがとき)は昼と夜が移り変わる時刻。人の目が宵闇の暗さに順応する前の状態にある時間帯のことを言うのだそうだ。闇に慣れると人の目は宵闇の暗さに慣れ、暗闇の中でも物の形が区別できるようになる。それは、人の心の闇もまた。

玉響5

 そのようなことを話していると、店のドアが開く音が聞こえ、店番の猫たちの甘えるような声も聞こえた。


「ごめんなさいよー!」


 どうやら来客者は鬼太郎会長のようで、私がはーい、と飛び出す前に会長はすでに部屋まで来ていた。


「おおう、まあ揃いも揃って揃っとる。お、新婚さんも揃っとるな」


 相変わらず賑やかな人だが、咲良さんの絵の前で手を合わせ、頭を垂れることは決して忘れない。


 差し出された椅子にどかんと座り、ふたばが用意したお茶を一口すすると、言いにくそうに口を開いた。


「あのなあ……。実は、こんなもんが通りのもんのところに来とってなぁ……」


 そう言いながら一緒に持ってきていた紙袋から大きなビニール袋を一つ取り出した。その中身を見た私たちは全員言葉を失った。


 袋の中身は例の香典袋で、会長が机の上に並べるとその数は全部で十三通ある。無言のまま中を開けるとまたもや黒い台紙に「Who Killed Cock Robin?」の文字があった。その文字の下には日本語で「忘れるな」と書かれている。

 

 

「なんじゃあ、これは。質の悪いイタズラじゃな、とはじめは思うておった」


 先ほどまで賑やかな雰囲気を一緒に連れてきたかのような会長が重々しく話を始めた。


「そしたらやまんばばあさまがやって来たわい。これと同じ紙持って『これなんて書いてあるんじゃ。横文字はわからん』言うてな。ばあさまんとこにも来たんかい、ちゅうことになって隣も聞いてみた。そしたら隣にも来とる。その隣のクレープ屋に聞いたらそこは来とらん。その隣の土産もん屋にも来とらん。次々に聞いて回って出てきたんがこれだけじゃ」


「よう考えたら――古くからここにおるもんばっかりじゃ。そしたらばあさまが駒鳥と言うたらあの娘らのことじゃないんかと。こまどり隊って呼ばれとったじゃろ、と。それで来たんじゃ。――逢摩、お前さんとこにも来とるか?」


 その問いにボスだけではなく、私たちも頷いた。

 


「やっぱりか」


 息を吐くようにか細い声でそう呟き、会長がうなだれた。


「わしは……わしはようやく許された、ようやくわしらは世間に顔を上げられるようになった――と思うとった。甘かったかのう……。まだあかんかったのじゃろうか」


 鬼太郎会長のすすり泣きが聞こえてきた。いつも強気の肩が震え、いつもより小さく見える。

 

 

 

 

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玉響4

「やっぱり、それほどの価値があるんだ……」


 私たちは件の茶碗が納められた古ぼけた箱を見つめた。


 価値があるとは聞かされていたものの、それがどれほどのものなのかを実感する機会があまりなかった。


 しかし国際的に狙われているということを聞かされた以上は、その価値を改めて感じざるを得ない。


「それだけではないかもしれん。実は……」


 その話を聞いていたボスが口を開いた。

 

「まだあるのじゃ。三つ揃って価値がある、と咲良は言うた。それがどういう意味かわからず、咲良に尋ねたが昔話だ、と笑っておった。その頃は骨董品やら焼き物やらには興味がなかったしあまりに気にも留めんかったがの。――次にその話になったのは、咲良がひどく体調を崩したことがあっての、そのときのことじゃった。元々体が丈夫とはいえんのじゃが高熱にうかされて、わしは気が気じゃなかった。そのときに聞いたのじゃ」


「咲良、話してもええかの?」

 

 ボスが絵の中の咲良さんに問いかけた。咲良さんは絵の中だが、その問いかけはまるで本当にそばにいるかのようなそれで、絵の中の彼女が頷いたような気配を私たちも感じた。


「――もし私が死んだら、この茶碗は別々に、別々にしてほしい。単なる古ぼけた茶碗として売ってもいい。あげてもいい。捨ててもいい。――ただ、三つ揃いのものとしては終わりにしてほしい、と。なんでじゃ? と聞くとあれは必死の目をして言うておった」


「これは祖国に伝わる言い伝えだと。この茶碗が祖国を救う宝の在り処を示す地図になっておるのだ、とわしは聞いた。――そんな言い伝えまで残っておるものをバラバラにしてええのか、と聞くと、それでいいのだと。そのために随分と無駄な争いやらたくさんの血が流れたのだから、もういいのだ、と。この茶碗を、茶碗として気に入ってくれた人が持ってほしい。そんな風にどこかに埋もれればいいのだ、と言うた。――この茶碗についてわしの知っとることはそれだけじゃ」


 ボスのその話を聞いてしばらくの沈黙が訪れた。その価値もわかった上でこの茶碗を狙っているのだろう。そうだとしたらるり子姉さんが言うとおり、実に厄介な相手だ。そのようなことに考えを巡らせていると隣でまだ気になることがある、という顔をしたふたばが口を開いた。


「あの、あの――えっと、じゃあひなこ、ふたば、みいこの謎は? これにもなにかメッセージがあるの?」


「あん?――あれか。あれは咲良に懐いとった近所の野良猫の名前じゃよ。――ほれ、咲良の膝におる黒猫がみいこじゃ。みいこが産んだ猫がひなことふたば。で、その孫の孫の孫の……ぐらいがハセガワと平蔵じゃ」


 先程までの重々しい雰囲気とは打って変わってあっけらかんとボスが答えた。


 正直私たちはまた椅子からずり落ちそうな気分になった。まさか咲良さんの膝にいる黒猫が私たちの名前のルーツだったとは、と思って件の黒猫に目をやるとなんだか得意げな表情をしているような気がした。

 

 

 

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玉響3

「こんなところでしょうか。他にある?」


 私はそう言って両隣を見る。それを聞いたひなことふたばは口々に、私もそう思ってました、と応じた。


 その様子を見ていた男たちは目で相談し合ったようだった。ボスが頷き、るり子姉さんが口を開いた。


「その内のいくつかは私から説明するわ」

 

 

 そう言うとゆっくり私たちの顔を見回し、少しの間を置いて言葉を続けた。


「簡単に言うと、ここ四、五年――不可解な事件や事故が続いたのね。はじめこそ単なる偶然が重なったもののように思われたその一連の出来事が、内偵を進めていく内にどんどん的が絞られてきたかのようにこの近隣県に頻発してきたの。――そしてどうもこの地方がターゲットなのではないか――と思われてきたのがここ二年ばかり前。すなわち露敏の指輪事件のころね。そして事件や事故は凶暴性こそ低いとはいうものの、狙われる人物や年齢、職業――あるいは業種や時代背景が似通っていたの」


 そこまで話を聞いて、思わずごくりと生唾を飲み込む。まるで自分たちからは遠い世界、まるでテレビドラマのワンシーンを見ているかのような話だったが、るり子姉さんの話は続いた。

 

 

「実はね、私こう見えてもいわゆる『キャリア組』なのよね。本庁の特命ってやつ。――やぁーだ、びっくりしないでよ。ついでに言っちゃうと初めて来た日の変な集団覚えてる? あいつらもそう。同期や後輩連中。まあ――色々あるのよ」
「ああ、それと夜咄の日に来てた目つきの悪い連中――あれもそう。管轄は違うけどね。彼らはいわゆる国際犯のほう。――ガタイいいの、前来てたでしょ? カメラ小僧よ」


 るり子姉さんの説明に私たち三人は椅子からずり落ちそうになった。内容をうまく飲み込めないままでいるが、あの日から違和感を覚えていたことの一つが解消されたことは間違いないらしい。


「まあそういうわけよ。で、何が目的なのか初めは見当がつかなかったし単なる偶然で片付けられるはずだった一連のものが一筋縄ではいかないと結論づけられたのは、バックに某国の有名な窃盗団が関わっていることがわかったの。その上彼らは私たちより早く的を絞ってきているらしいってこともね。――で、私の登場ってわけよ」


「あいつらが狙っているのは逢摩堂……多分あの茶碗に間違いないと思う。敵は実に厄介ね」

 

 

 

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玉響2

 

 ではみいこさんから――と話を振られ、私は話を始めた。


「いくつかわからないことがあります。それはるり子姉さんが以前この店が――たしか色んな筋から狙われている、と言ったこと。あの後の露敏君の指輪事件やら逢魔時堂の都市伝説やらで、このことなのかなと納得はしてたんですけど……なんだかそんな程度――まあそれはそれで大きな出来事ではあったんですけど、これだけのことだったのかなぁって思ってるんです。もっと他に何かあるんじゃないのかって」


 数年前に店にやってきた更科露敏はこの店のどこかに隠されているという指輪を店に探しにきたのだが、その際に「どっかのヤバい兄さんたち」に指示された、と話していた。


 私のその言葉にひなことふたばも深く頷いた。


「たぶん、それは咲良さんの茶碗に関することじゃないのかなぁって」


 その話にボスが――それは――と話そうと身構えたとき、絵の中の咲良さんが軽くボスを制した気配がした。それはまるで――最後まで話させてあげなさい――とでも言うかのように。


「三つ揃って価値がある――それはどういう意味なのでしょうか」
「なぜバラバラに持たせるように、って咲良さんは願ったのかな」


 ひなことふたばがそう続いた。


「そうなんです。このあたりがよくわからない」


 私たちがここのところ三人で話し合っていた内容はこうだ。


「今までも現れていたひなこ、ふたば、みいこはこの茶碗のことやその価値、それから――あの事件のことなんかも知っていたのですか?」


 ひなこがそう話し、そしてもう一つ、と話を続けた。


「初めてここに来たとき、通りはまるで死んでいるかのようでした。みんなは私たちが来たことで通りが蘇ったと喜んでくれていて、それはそれで嬉しいんですけど――じゃあ、実際に何かしたかと聞かれたらなにも特別なことってしてないんですよね。何かを意図して動いたっていう自覚はないんです――私たち、何かしたのかな?」

 

 

「それと……実はずっと気になってるんですけど……」


 ひなこの話の後で思いきって口を開いた。


「あの夜咄《よばなし》の日にいらしてた三人の方は、どういう方々なんですか? 父さんの知り合いだろうとずっと納得しようと思ってたんですけど、なんか引っかかって仕方ないんですよね」


「父さん、あの人たち感じ悪かった」


 ふたばが言葉を被せたあとに、ひなこも頷いて


「なんか……違う世界を持ってるような感じがした」


 と話す。


 今まで気にはしていたのだが、なかなか聞けないままでいたことをようやく聞くことができ、少し心が楽になった気がした。

 

 

 

 

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玉響

 最所とふたばが新婚旅行へ飛び立ってから一週間後、帰国した二人はかのハリー・ポッターグッズを山のように買い込んできたのでしばし私たちはもちろんのこと、通りの皆もそのコスプレを充分に楽しんだ。


 猫たちも各々、作中に登場する四つある寮のシンボルカラーというのか、おしゃれなマフラータイプの首輪をもらってご満悦だったし、あの重い告白の後、しばらく体調を崩したボスも元気を取り戻した。


 もっとも、元気になった大きな要因は実は咲良さんが夢に出てきてくれたのだと照れくさそうにボスが話していた。


――黙って優しくてを握りしめ、キスをしてくれた――と少年のように恥じらいながら語るボスを、咲良さんの絵の横に立たせ、全員で「ヒューヒュー」と冷やかした。心なしか絵の中の咲良さんも頬を染めたような気がしたのは、恐らく私だけではないだろう。

 

 

 

 面子が全員揃ったところで、もう一度おさらいを兼ねてこの問題を分析してみることにする。


 幸いなことに脅迫文といってもよいであろう例の文書を送りつけてきた輩は、今のところその後の動きはない。


 そしてこの会議は常に咲良さんも交えて――すなわち咲良さんの絵の前で行うことにした。


「間違った方向へ進もうとするなら、咲良がなにかしらのアドバイスをくれると思う」


 とボスが主張したし、私達にも異論はなかった。それどころか、いつの間にか私たちすら咲良さんが頷いたり、あるいは首を横に振ったり――といった様子を感じられるようになっていた。


 なにより、咲良さんや他の娘さんたちがこの輩たちの動きを歓迎していないのだという確信が私たちの大きな力となった。

 

 

「この際、色々なことをもう一度はっきりさせましょう。お互いに持っている情報やら記憶やらをすべて洗い出し、共通認識にすることから始めましょう」


 なんだか一段と男ぶりが上がったような気もする最所が口火を切った。


「同感です」
「そうね、その必要があるわね」


 最所の提案に、京念とるり子姉さんも頷いた。


「各々、思いついたこと、あるいは違和感を覚えたことの洗い出しから始めましょうか。つまらない誤解に振り回されないように」


 最所の提案に全員が頷く。


 今まで、そうなのかな、こうなのかな、と納得してきたつもりのことも、もう一度真相を明らかにしていく必要がある。そうしないと彼の、あるいは彼らの目的すら掴めない。


 数多の些細なできごとの中に必ずヒントがあるはずなのだ。

 

 

 

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Who Killed Cock Robin? 6

「それ以来咲良も、五人の娘たちもおらん」


「たくさんの犠牲者が出て変わり果てた姿で見つかった。しかし見つからんかった。五人の娘たちがいた置屋は、他の者は皆逃げたそうじゃ。五人の娘らは誰も見かけんかったと言うておった。――いや、自分の身と自分の家族のことだけで精一杯じゃったと。――あとで聞いた話じゃ。娘らの部屋は外から鍵がかかっておったそうじゃ」


「――それから時は止まったままじゃった。わしも、そして通りの皆も。今でも咲良の『嘘つき』の声は忘れられん。その声は、わしはもちろん通りの衆にとっても永い間心の枷になった」

 

 

 ひなこが立ち上がり、黙って厨房へ向かった。きっと何か温かい飲み物を用意するだろう。男たちは黙ったままだった。


 私は今は父と呼ぶ人の手に、自分の手を重ねることしかできなかった。


 るり子姉さんが冷静な声でボスに尋ねる。


「この封書の差出人に心当たりはありますか?」


 京念も続いた。


「駒鳥……という言葉に心当たりは?」


 その二人の問いかけにボスは頷いた。


「あれらは……こまどり隊と呼ばれておった」

 

 

「雪女おばさまにコツを教えてもらったんですけど、おいしいかな?」


 ひなこが大ぶりの筒茶碗を持って部屋へ戻ってきた。銘々の前に置いたその中身は熱々の甘酒だ。


 ひなこが雪女おばさんに教わったという甘酒の優しい味を静かに味わい、しばらくしてるり子姉さんがまた口を開いた。


「この話はみきくん――最所先生にも共有してよろしいですね」


 ボスは頷いた。


「ふたばさんにも?」


 京念が念を押す。その問いにボスは苦しげにまた頷いた。


「私たちは家族です。もう一人で苦しまないで」


「咲良さんはこんなこと、望んでいない。こんな――こんなことをするものと戦いましょう」


 私とひなこがそう囁き、先ほどまで静かに香箱を組んでいた小雪がそっとボスの膝に乗り、にゃん、とボスの顔を見上げて優しく鳴いた。

 


 そしてこれが、次なる事件の序章だった。

 

 

 

 

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Who Killed Cock Robin? 5

「あの夜――」


 少しの沈黙が訪れたあとにボスはまた口を開いた。


「山が崩れた」


「そうじゃ。予兆はあった。昼間から山鳴りがしとった。長老たちはこんな音は聞いたこともない、逃げろと言うた。若いもんは――わしらは、大丈夫じゃ、ちゃんと土留めもしてある、と言うて気にもせんかった」


「――咲良は、咲良は心配した。他の娘たちは――そうじゃ、あのひと飲みに崩された斜面にあった置屋に住まいしとったから。あそこは危ない、こっちに連れてきてくれと、わしに縋りついて頼んだ。わしは大丈夫じゃ、と。心配するな、と。ちゃんと向こうは向こうで避難しとるからお前はここにいろと――まずお前が無事でいろと伝えた」


「――咲良はそれでも言い募った。他の誰が助けてくれるのか。あなたが行かないのなら自分ひとりでも行くと。いつも黙ってわしの言うとおりにしてきた咲良とは思えぬくらい一歩も譲ろうとはせなんだ。そして咲良はわしに、お行きなさい、と命令した」

 

「わしは……わしの若さと驕りがその圧倒的な態度に、咲良のその気高さに猛反発したのじゃ。――そう思わせてくれ。そして、そしてわしは決して言うてはならぬことを言ってしまったんじゃ」


 ボスはそこまで言って言葉を一瞬詰まらせたが、わずかに訪れた静寂のなかで、声を絞り出すように続けた。


「お前なんか金で買われてきたくせに! わしがお前を買ったのだ。お前に自由なんかない。――そうじゃ、わしは言うてしもうた」


 ボスはそう言い、すすり泣いた。


 私たちは誰も言葉を挟めなかった。まるでその運命の日の、その時間に空間がタイムスリップしたかのようだった。


 私たちは時空を越え、存在しない存在のままで息をするのも憚れるような想いでこの光景を見つめているようにさえ思われた。

 

「わしは決して――決してそのときの自分を許せん」


「咲良の顔色がさっと白くなったのを覚えておる。そして真っ直ぐにわしを見て――嘘つき――と叫んでそのまま嵐の中を飛び出していった。もちろん後を追ったよ」

 

 

 そしてまた空白な時間が訪れた。ボスが次の言葉を紡ぎ出す僅かな時間が途方もなく長い時間に感じられる。

 


「いや。正直に言おう。わしは正気に戻るのにしばらく時間が必要だったのじゃ。――放っておこうと。あれは頭を冷やしてきっとすごすご戻ってくる。そして許しを乞わしてやろうと――そんなことを考えたのじゃ」


「そのとき、今まで聞いたこともない音――地鳴りだけではない。まるで馬鹿でかい化物が声の限りに吠えるような音が聞こえた。その音を聞いてようやく正気に戻って後を追ったのじゃが、外は真っ暗闇じゃった。気が違ったように咲良の名前を呼びながらわしは走った。その様子を見た通りの衆がわしを羽交い締めにして止めた」

 

 

「さっき、咲良が娘らを助けてやってくれと同じように、まるで気が違ったかのように来たと言う者もあった。止めたのだ、と言うた。あの子らはちゃんと避難しておる、大丈夫じゃ、と言うたと。――じゃ、なぜあなた方はここにいる? なぜここにいて知らん顔をしている? 家族ではないのか? そう言っていたではないか――咲良はそう言うたそうじゃ。みんな、みんな嘘つきだ、と」


「止める手を振り払って咲良は去った。声の限りに呼び止めたのだ、と皆は口々に言った」

 

 

「そのとき、大きな雷鳴が響いた。追いかけようとしたわしは石に躓き、頭を打ったらしい。そしてそのまま気を失って――気が付いたときには、何もかもが終わっておった」

 

 

 

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