11.鬼も内.2
私が「あの……」と声を掛けたのと客が振り向いたのはほとんど同時だった。
咄嗟に私は笑顔を作り、
「お気に召していただけましたか?」
と続けた。ほっとしたことに客は茶碗を一旦棚に戻し、私を上から下へ、下から上へとじろじろと見た。
どうも今度は私の値踏みにかかったものと見える。私はにこりと微笑んだ。
「あなたは……」
「はい?」
「あなたはこちらの奥さん?」
思いの外、その声は穏やかだ。
「いいえ、私はここの従業員です」
「あら、そうなの」
客の声音はがらりと変わった。
「随分大きな態度だからここの奥さんかと思ったわ」
暖簾の影でふたばがこぶしを固め、
ひなこが猛烈な勢いで「クレーマ対処法」をパソコンで検索しだすのが目に浮かぶようだった。
「申し訳ございません。不快な思いをなさったのでしたらお詫び申し上げます」
亀の甲より年の功、とはよく言ったもので、この手の客のあしらいは慣れている。
彼ら、彼女らはとどのつまり世の中の何もかもが気に入らないのだ。
対象はなんでも構わない。
今自分を取り巻くすべてのものが気に入らないのだから
目の前の私が気に入らないのは当たり前だった。
「わたくし……」
この四つの言葉を一つ一つ切りながら客は言葉を続けた。
「内藤久矢の家内です」
まるでテレビの水戸黄門で助さんだったか格さんだったか、
三つ葉葵の御紋がついた印籠を突き出して「この方をどなたと心得る」の決め台詞のような効果を狙ったに違いない名乗り方だった。
だがしかし――私は悪を秘かに企んだ代官ではないし、もっと困ったことにその内藤云々の名前に記憶がないのだ。
逢摩堂の顧客リストはほぼ頭に入っている。
だからこの場合は「はは~」とも「へへぇ~」とも言えない。
仕方なし、とりあえずは「はい」とか言いようがなく、
そのかわりと言ってはなんだがとびきりの笑顔を作った。
その様子に客は一層気を悪くしたようだった。
しかし目の前の私が屈託なく微笑んでいるのを見て、今度は哀れむような声音で
「まあ、たかが店員だから知らないのかもしれないけど――でも勉強不足です。
私、内藤商事株式会社代表取締役、内藤久矢の家内です」
ああそうか、そう言えばこの町の古い古い企業の一つにそんな会社があったかもしれない。
昔はそこそこ栄えていたようだが、その産業の衰退とともに今は事業も縮小し、町の人達から存在も忘れられかけた企業にそんな名前があったような気がする。
つづく
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