夜咄10
佐月さんが「うっ……」と嗚咽した。マスターが肩を撫でている。座はしーんと静まり返っていた。
最所の声は続く。
「そしてその後の悲劇についても、ここで蒸し返す必要はないものと思われます。ここにおいでの皆様方は、一日たりともお忘れになってはおらず、ずっと苦しみを共有なさっていらっしゃいました。そしてその苦しみの歳月が時として心の溝を作ってしまったことも事実です」
ここで最所は言葉を切った。大広間のあちこちからすすり泣きの声が聞こえる。
「長かったのぉ……本当に……」
やまんばばあさまが独り言のように呟き、鼻をすすった。
「なんじゃなんじゃ、皆して湿っぽい! 今日はそんな山河を乗り越えてのめでたい日なんじゃ!」
鬼太郎会長が声を張り上げる。
「そうだそうだ、会長の言うとおりじゃ! もう十分わしらは喪に服したし、あれらも許してくれとるわい。だから、わしらにこの三人を引き合わせてくれたんじゃ」
と、目玉親父も叫んだ。
「そうだ」「そうだ」と広間のムードは明るくなり、事の成り行きに下を向くしかなかった私たちもようやく顔をあげた。
その折、先ほどの三人が私たちを凝視しているのと目が合った。そして慌てたように下をむくのも。今度は背筋にぞわっと寒いものが走る。
広間の雰囲気に最所はにこりと笑って話を続けた。
「そうです。では話をもう少し続けます。――さて、かの茶碗は、このような経緯のもと逢摩氏に託された――預けられたのです。そして逢摩氏は大切に大切に保管してこられた。その理由の一つに、以前王族の姫君であった、かの咲良さんと生前に交わした約束があったからなのです」
「え?」
これは意外だったとみえて、大広間はまたもやざわついた。
「そうなのです。帰る場所がないと悟った咲良さんは、逢摩さんに託したのです。いつか――いつかこの品に相応しい人物に出会えたら、この茶碗を与えて欲しいと。そしてできればこの品々を静かに、あるべき姿に戻して欲しいと。この言葉を重く受け止めた逢摩氏は、できるだけその価値を知らない――言い換えれば歴史的、美術的価値、それに付いた値段といったものを通してではなく、心の価値でこの品々を見ることができうる人を探していらしたのです。特にこの茶碗は三つ揃って真の価値があるのですが、できれば各々三人の人たちが持つように――そんな話を咲良さんはなさっったそうです」
ここまで話して最所は軽く咳払いをして、なおも話を続けた。
「逢摩堂にはしょっちゅうお手伝いの方がいらしてましたね。覚えておいででしょうか、みなさん。その人たちがすべてひなこ、ふたば、みいこと呼ばれ、そしてほとんど半年もたたぬうちにいなくなってしまったのを――」
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夜咄9
それからしばらくして
「おほん!」
と咳払いをしたのは鬼太郎会長である。
「ささ、静粛に静粛に……」
「さて、本日はお日柄も誠に目出度く、皆々様方におかれましては益々ご清栄の程、おん、おめでとうござりまする」
「また、本日は賑々しくご来場を賜り、おん、お礼を申し上げまする」
だめだ、この手は長くなる――と内心嘆息が出そうになったところで目玉親父がうまい合いの手を入れた。
「司会者様におかれましては、おん、短めにお願い致しまする~」
「ぜひとも御願い上げ奉りまする」
と、これも通りの酒屋の親父さんが続いた。なぜかバックミュージックには雅楽が流れている。
「待て待て、わしゃあ川尻組の親子盃の様子をネットで何回も何十回も見て研究したのだからして、ちったあ真似させてくれんか」
そうか、この大仰な室礼を見てなにか怪しいとは想像していたが。
「待ってました!」
大向うから声がかかった。バックミュージックは変わり、今度はド演歌。
「ストーップ!!」
るり子姉さんが声を張り上げる。
「いい加減にせんかい!」
若僧ではあるが一応現役の刑事である。しかもその筋専門なのだから、一応鬼太郎会長は黙った。
「じゃがの、ちったあ筋目を通させてくれんか。この三人娘の門出じゃから。わしら、この娘たちが可愛いてならんのじゃから」
ぐちぐちと小声になる。
「相わかった。お心遣い恐れ入る」
ボスが重々しく言葉を継ぐ。
「しかし、なんじゃの。もうちっと簡略にいかんかの。取持人、どうじゃ?」
最所がすくりと立ち上がる。そして京念、るり子姉さんが同時にそれに続く。
「取持人、という名称が私どもに当てはまるか否かは別といたしましてぇ」
おなじみの語尾上がり名調子で、しかしその凛とした声音は広間のざわつきを一瞬で鎮めた。
「経緯を簡単に説明させていただきます」
「テーブル中央をご覧ください。ここには雪、月、華と各々和銘がつけられている三つの茶碗がございます。これは、とある国の王族が古来より門外不出として永きに渡り脈々と伝えてきたものです。そして皆様、これは皆様にとって非常に思い出深い、ある女性が母国を出るときに持ち出したものでもあります。この国で国難に出会ったときに必ずや力になってくれるはずのもの……と託した人の並々ならぬ想いのもと、その女性と、その女性に縁する五人の娘さんたちが守り抜いてきた品々なのです。残念なことは、その女性たち六人がそう信じて、いわゆる文化交流と信じて来日したにも関わらず、その現実はあまりにもかけ離れたものでした」
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夜咄8
さて、続く会食は黒猫家を借り切り、襖を外して大広間で行われる。真っ白な割烹着を持参していた私たちがそれを持って、廊下を移動しようとすると先ほどの見知らぬ客たちが足音に気付いてか、急にわざとらしく咳払いをしてさっと三方に別れた。
なんとなく、ほんの少しだが胸がざわつくのを感じた。なんの理由も根拠もないのだが、晴天にかすかな雨雲らしきものを見つけたような思い、とでも言おうか。
「やな感じ」
ふたばが呟いた。
「うん、やな感じ」
と、ひなこも。
「さあさ、手伝い手伝い」
私はことさら元気よく言った。この思いを振り払うように。
大広間からはざわざわと賑やかな声が聞こえてくる。
「ああ、脱ぎたくないけどこれじゃ働けないなぁ」
「本当に。なんだかもうすでにクタクタですよね」
まったく、昔の女性たちはこの装いで日常生活、家事もこなしていたとは信じがたい。
「こらこら、主役たちが何しとる」
鬼太郎会長が私たちに手招きをする。
「はよこっちゃ来て席についてもらおか」
目玉親父も唱和する。ボスもにこにこ笑いながら「こっちこっち」と大声で呼ぶので、割烹着を持ったまま広間に入り、とりあえず坐ろうとすると
「あなた達は今日はあそこ」
佐月さんが指差した場所は二双の金屏風の前でいわゆる高砂、メインテーブルであった。
「えー!?」
「ちょ、ちょっと、これは?」
三人で同時に大声が出る。
「ほれほれ、四の五の言わずさっさと行った行った」
半ば押し切られる形で私たちはすでにボスが着席しているテーブルへと着いた。
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夜咄7
歩き出した私たちを見て
「あらあら、もっと歩幅を小さく!」
「ほれほれ、肩をいからせない!」
などと、ドアを出るまで大騒ぎだったが、黒猫家に到着する頃にはようやくなんとか歩き方も様になってきた。
「雪輪ですね。よくお似合いですよ」
京念が微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、これは……なぜですか?」
「機が熟した……ということですかね」
と、意味深な答えが返ってきた。
「どういうことですか?」
その問いにまた微笑まれ、私は答えを聞けないまま黒猫家に到着した。
こぢんまりと造られた茶室はさすがボスと黒猫屋の主人が意匠を凝らしただけのことはあり、簡素な中にも重厚さが感じられるものだった。
ボスのアドバイスのもと私が選んだ道具類もしっくりと馴染んでおり、ほっと胸を撫で下ろしたものである。
招かれている面々を見ると全員ほとんど顔なじみの中に四、五人ほど見知らぬ顔もあり、これはボスの古い友人か、もしくは黒猫家に縁する人たちであろう。
厳粛な中にも和やかな楽しいお茶会の席も終わりに近付いた頃合いに、ボスが件の三種の茶碗で「もう一服」と勧めた。
「ちと、掟破りになりますかの」
ボスは笑い、出席者は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、鬼太郎会長が
「おうおう、喜んで。ただしこの後もうんとお茶けは頂かんといけんので程々にな」
と陽気に笑った。
「ぜひとも所望したいものです」
今までほとんど会話に加わることがなかった見知らぬ顔の男が低い声で言い、その両隣に坐った二人の男たちも大きく頷いた。
「では……」
ボスはゆったりと美しい所作でお点前をし、件の茶碗は三人の男たちの前に次々と置かれる。
一服の茶を作法通りに飲み干した男たちは、やはり作法通り上半身を傾けると、じっくりとその茶碗を吟味している。
「これが例の……」
「そうです。これが、それですじゃ」
短い会話の後に茶碗は戻された。なんということもない一連の流れ。まあ確かに最後の最後にまたお茶を一服というのは茶会の作法には型破りなのかもしれないが、身内の茶会、ないこともないのかと茶道に疎い私は思ったし、最所、京念、るり子姉さんとは席が離れているし、その上ほとんど無我の境地で慣れない和装と戦っているしで、椅子席ではあったが終わったときはほっとした私だった。
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夜咄6
そこに待っていたのは佐月さん、雪女おばさん、やまんばばあさまと、後は白いエプロンをした美容師さんが三人、そしてみんなにこにこと手招きをしている。
「え? なんですか?」
狐につままれた表情の私たちに
「さ、お支度お支度」
佐月さんは楽しげにそう言って笑った。
「器量良しの娘さんたちだから衣装選びの楽しかったこと」
雪女おばさんが微笑んだ。
「さあさあ身ぐるみ脱いでおくれ」
私たちは否応もなく浴室へ追いやられ、二時間後にはすっかり美しい和服を纏って鏡の前にいた。
「できたできた」
「本当に綺麗」
「ぴったりじゃったの」
佐月さん、雪女おばさん、やまんばばあさまが母のように、伯母のように、祖母のように私たちを見て涙ぐんでいた。
「あの、これは一体……」
ようやく私が口を開くと、それまで黙れだの動くなだの言われた通りに、と質問すらできない雰囲気でなにがなんだかわからないまま、とにかく言いなりになっていたのだ。
「逢摩さんからのプレゼントですよ」
佐月さんがそう言って微笑んだ。
「今日はお披露目ですからね」
「本当に嬉しいわ」
「うんうん、めでたいの」
なんだか要領を得ない。確かに今日はめでたい快気祝いだし、黒猫家茶室のお披露目だし会食には通りのお歴々も招待してあるしだが、私たちはあくまでお手伝いであり、裏方のはずなのだが。
「今にわかりますよ。さあさあもうすっかり支度はできた。先に黒猫家へ行っててくださいな。私たちもすぐ後から行きますからね」
佐月さんがてきぱきと語り、ドアを開けて「エスコートさぁーん」と声をかける。
「はーい」と現れたのは、おなじみの京念、最所、るり子姉さんで、今日は三人ともビシっとこれまた和装で決めていた。
やまんばばあさまは三人をジロジロと見つめ、
「ふん、七五三みたいじゃがよしとするか」
と憎まれ口を叩いたが、三人三様各々とてもよく似合っている。後で聞いた話によるとボスの若かりし頃のものだそうで、いかにも上質なものであることはすぐわかった。私たちの衣装は雪月華のイメージで選んだらしく、一番若いふたばは辻が花の美しい振り袖で、それを見たるり子姉さんは
「いいわねえ……」
と心から羨ましそうに見る。
「こんなの、一生着ることないって思ってた……」
ふたばがぽつんと呟き、ひなこも品良く月を染め上げた自分の衣装をそっと整えている。
私自身もそうだった。和服に袖を通すことなど生まれて一度もなかった。成人式も確かスーツだったと記憶している。自前で購入しようと思えばできたに違いないが、和服に身を包んでゆったりと時を過ごそうという心の余裕はなかった。
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夜咄5
その日は早朝から薄っすら雪模様となり、空気がぴんと張り詰めていたが昼頃にはすべての塵芥をも露払いされたかのような美しい青空が拡がった。
逢摩堂は『本日お休みしております』とドアに張り紙をしている。
「この季節、忙しいからせめて昼過ぎまで店を開けたほうが……」
という私たちに、ボスは
「いいや、朝から閉めんとな。まさか猫たちだけで店番させるわけにもいくまいて」
「お支度は時間がかかるやろ」
といたずら小僧のように笑う。
使う道具はすでに黒猫家に運び入れてあり、室礼や会食の献立など、細かい打合せもとっくに済んでいる。手伝いが主である私たちもまた末席に加えてもらえるようなので、失礼のない程度であるが動きやすい服装にしようと三人で話し合っている。
「一足早く黒猫家に行っておくれ。わしは後から先生方と行くからの」
私たちははあい、と答え、着替える暇もないだろうと考え、各々かねてよりの打合せの服装に整え、エプロンを用意し、揃って咲良さんに
「行ってまいります」
と手を合わせて黒猫家へ向かった。
道中ひなこが「覚えてますか?」と笑った。
「あのね、今日は私たちの初出勤の日なんですよ」
「あ、そうだ! そうだった!」
そうふたばも続ける。
「忘れてた。そうか、今日だったっけ」
「そう、今日だったんですねぇ」
なんとも感慨深いものがある。二年前の昨日、私は面接のため逢摩堂へ向かう道すがら、黒猫屋が入っているマンションを見上げ、自分は一生足を踏み入れることもないと思っていたし、ここから不意に現れたハセガワとほんの少しお喋りもしたのだった。
そんな思いで各々胸いっぱいになりながら、改めて見上げたマンションは相変わらず大きかった。
マンションコンシェルジュの女性とも、今やすっかり顔なじみになっており、笑顔で挨拶を交わしエレベーターに向かおうとすると「待った」がかかる。
「今日は特別室へいらしてくださいな」
そうか、まだ運ぶものがあるようだ。指示通り一階の特別室へ足を進めた。このマンションの全容はすっかり頭に入っており、初めて来たときは迷子になりそうだった私たちも迷うことなくさっさと歩ける。
特別室のドアを開けると私たちは「え?」と棒立ちになった。
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夜咄4
それもこれも、ほんの少しずつお互いにぽつりぽつりと語ったうちからわかったことで、ボスを始め、私たち全員がお互いにお互いのことを無理に聞き出そう、こじ開けようというような想いは微塵もなかった。
私たちは相変わらずみいこさん、ひなこちゃん、ふたばちゃんで、本名も時々忘れそうになるくらいだったのだ。
「さて、夜咄にしようかの」
ボスは楽しそうに私を見た。
「ちょいと寒いかもしれんが、これも引き締まっていいかの」
「あれと……これと、そうじゃな……あの道具も今回お披露目しようかの。みいこさんやふたちゃん、ひなちゃんのお許しが出るのなら」
「え?! 私たちの?」
怪訝な顔になった私に、
「ほら、咲良の道具じゃよ。正式にあんたたちに引き継がせることもこの際はっきりしておこうと思うての。すまんが、二人も呼んできてくれんか」
はいはい、と私は身軽に二人を呼びに行った。
確かにあの恐ろしいまでの価値があるという、そして咲良さんの身分をも示すものという、あの三つの茶碗は今もボスと咲良さんの部屋にあり、一応は私たちのものということにはなっているが、私たち自身にはその意識はまったくなく、ボスの律儀さをむしろ微笑ましく思い、私たちは口を揃えて――どうぞ、お好きなように――と承諾した。
「そうかそうか、お好きにしてもいいか。それを聞いて一安心じゃ」
ボスは嬉しそうに私たちを見つめ、咲良さんの絵に向かって
「聞いたかの。よかったよかった」
と微笑んでいた。
「今よろしいですか?」
最所と京念がドアの向こうから声を掛けてきた。
「ああ、そうそう。先生方が来るの。待っとったわい」
その声をきっかけに私は事務所へ戻り、ひなこは店先へ、ふたばはおやつのお汁粉作りのために台所へ立った。
おやつの匂いを嗅ぎつけて、もうすぐるり子姉さんも現れることだろう。逢摩堂の明け暮れは今日も申し分なく平和だった。
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